【人生ドン底からの再起ストーリー】ブログの理念と著者プロフィール

はじめまして、しかシカ(33歳)です。

今年2020年に、11年暮らした
東京から、生まれ故郷の香川県高松市に
戻ることに決めました。

穏やかな空気。
港から見える、空と海が溶けるような青。
帰るたびに心癒されてきた、大好きな街です。

現在は都内の食品商社で
営業・企画の仕事をしていますが、

地元に帰ってから経済的に自立した
生活を送れるよう
ネット副業の準備を進めています。

なぜ、「ネット副業」という選択肢を考えたのか。

なぜ、ヒト・モノ・カネが集まる
都会から、地方に移ろうと思ったのか。

そのきっかけが、
情報発信ビジネスとの出会いでした。

情報発信ビジネスを知って、
僕は大きく変わりました。

  • 本質的な思考回路を身につけることで、
    さまざまなビジネスの仕組みが見えるようになった
    ボトルネックであったり成功要因であったり
  • ひるがえって、自分の力で収益を作るための道筋も見えるようになった
  • パソコン1台あれば、どこにいても副業活動ができることを知った
  • (あとで詳しく書きますが)離婚して何に対しても無気力だった自分が、
    地方で経済的に自立するという目標に向けて、行動できるようになった
  • ブログ書いたりYouTubeやったりと実践している最中
  • 新しい知識や情報を得ることが刺激になり、毎日学ぶことが楽しくなった
  • とにかく行動が次の行動につながるような良いサイクルが生まれた
  • それによって、人生ドン底だった自分に自信がついた

都会は便利だし、豊かだけど。

この情報化社会においては、
地方であっても、個人でも
ネットを使ってビジネスをすることができます。

確かに地方って、
都会に比べると格差があるし、
収入面はどうしても見劣りしますよね。

会社や組織で働くことは
必要だと思うけど、

それだけに依存するのは、
経済的にも精神的にも
不安定っていうのが僕の考えです。

僕はかつてブラック会社で働き、
プレッシャーに追い詰められて
精神がボロボロになったことがあります。

会社は人を守ってくれるものではないし、
心身が壊れて明日から
働けなるということもある。

一方、生活につきまとう
不安から解放されれば、

好きな場所で、理想の暮らしを
手に入れることができます。

僕自身、思い入れのある故郷の街で、
副業から起業にシフトして、
お金も心も不自由せずに暮らしたい。

大好きなカレーのお店をやりたいし。

自分が身につけたマーケティングや
ビジネスの仕組み化の視点を使って、
隠れた魅力を持った中小・零細企業を盛り上げたい。

地方暮らし+ネット副業
という選択によって、「都落ち」っていう
マイナスな価値観を変えたい。

あと、いつも僕を陰ながら
応援してくれた実家の母親を
楽をさせてあげたいですね。

とにかく、やりたいこと
いっぱいあるんですよ。

さて、そんな僕ですが、

今まではサラリーマンとして
生きていくことが当たり前、
常識だと思っていたので、

特別なスキルなんて
何も持っていませんでした。

副業とはいえ、自分で0からビジネスを
興すなんてとんでもない。

サラリーマンというのは
会社の一部分でしかなく、営業なら営業だけ。
企画なら企画だけ。

経営というマクロな視点から
ビジネスを見たことがなかったから。

しかし、ネットという個人が手が届く世界で
2〜3ヶ月コツコツ学び続けることで、

ビジネスの全体像をつかみながら、
収益の仕組み化やマーケティングについて
理解することができました。

少なくとも、
「会社や組織で働くことが当たり前」
という旧来の価値観から、

「自分でも稼ぐことができるんだ」
と思えるようになるまでは一瞬でしたね。

あとはただ、筋道を立ててやっていくだけ。

「働く」とは
「はた(=傍)をらくにする」ということ。

僕はこの言葉が好きなんですが、

人の不安・不満・不都合などなどを
解決しようって思うことが、
ビジネスの第一歩なんですね。

ネットでビジネスを興すのは、
パソコン1台あれば誰でもできるし。

正しい知識を身につければ、
誰にでもゴールまでの筋道が見えるし。

僕のように30代になってからでも、
遅すぎるということは全然ないし。

人生経験が豊富であればあるほど、
発信の材料にもなる。

このブログでは、

地方暮らしに経済的・精神的な不安を
抱えている人に向けて、

僕の経験やこれまで学んできた知識、
副業準備におけるマインドなどを
発信していきます。

そして、読んでいただくにあたり、
僕の過去のストーリーを知っていただけると、
より理念が明確に伝わると思います。

すでに少し書きましたが、
僕は特別なスキルも
持っていませんでしたし、

離婚を経験して、
人生ドン底に落ち込みました。

何をするにも無気力になって、
自信もなくしてしまいました。

ここからはしかシカこと僕が、
社会人になってから
これまでのことをお伝えしていきます。

【就職編】夢に近い職業で努力するが、他者評価の世界で腐る

今でこそ営業という仕事を
していますが、

若い頃、音楽ライターを夢見ていた僕は、
編集プロダクションに入り、
編集者になりました。

編集プロダクションとは、
雑誌や書籍、企業の広告物などを
編集・制作する下請け会社です。

20代の大半をこの会社で過ごし、
今では到底できないほどの
努力をしましたが、

自分が望む評価と
他人の評価のギャップに思い悩み、
腐ってしまった時期がありました。

会社は中途社員中心で、入社当時、
僕は久々の新人だったこともあり、

周囲も丁寧に仕事を教えてくれたし、
今も心の師と仰ぐ上司と
出会うことができました。

自分の夢に近い編集者という
仕事にやりがいを感じ、

日々終電帰り、
徹夜もザラという生活だったけど、

まさに「青春のすべてを捧ぐ」ほどの
熱意で取り組んでいたあの頃。

最初から要領が良い方では
まったくなかったけど、
来る仕事は拒まず

ガムシャラにこなした結果、
常に10以上の案件を
こなせるようになりました。

自分でいうのもなんだけれど、
生え抜きのような扱いだったし

20代も半ばを過ぎる頃には
それなりに優秀だったと思う。

その反面、自分の能力を驕って
調子に乗っていたんですね。

自分にとって重要でないと思える案件は
手抜き仕事をしてしまうことがあり、
ミスも一度や二度じゃありませんでした。

周りは依然として未経験から
転職してきた中途社員が多く、

「年上だけどキャリアは自分の方が上」
に当たる人が結構いて。

僕は自分の能力に
それなりに自信を持っていたけれど、

“年上の後輩”が自分より
先に出世するということがあり、
不満が溜まっていきました。

「君の力は認めているけれど、気分屋的なところがあって
 すぐ手を抜くでしょ? そういういい加減さがダメなんだよ」

上司にそう言われたけど、
当時の僕は納得がいかなかった。

「認めてくれないから」だって。

また当時、会社では大学の
広報関係の仕事を多くしていて、

某有名私立大の案件を、
いわゆる社内の学閥の人間が
担当していました。

売上も大きく、
花形ともいえる仕事の担当に、
自分が仕事を教えた後輩が抜擢されて。

この時も、やはり納得がいかず、
上司に楯突きました。

「自分の出身校ってだけで、なんでアイツが
 大きな仕事を回してもらえるんですか!」

心のなかでは、同じ大学の出身者が
仕事を担当した方が、理解もあるし
対外的にも顔が立つのは分かっていたけれど、

自分の頑張りが報われないようで、
悔しくて悔しくてたまらなかった。

「自分だって、これだけ努力をしているのに」

元来、他人の評価を
気にするタイプではなかったのに、

こう屈折してしまうと、
気になって気になって仕方がない。

毎年あった若手社員表彰でも、
自分以外の人間ばかりが認められる。

完全に気持ちが空回りして、
腐ってしまっていました。

今考えると承認欲求をこじらせた
イタいキャラこのうえなく、

“自分と他人の関係”しか
見えていなかったことを思い出します。

【結婚・退職編】元妻と出会い、上司の言葉に救われた

スランプのなかで出会ったのが、
のちに別れることになりますが、
元妻でした。

同じ会社の人間だったこともあり、
仕事の悩みを理解してくれて
ずいぶん助けられた。

また、先ほどから登場している
上司からの言葉に救われました。

「世の中にはスゴい人間が山ほどいるのに、自分の属しているなかだけで
 他人と比べたり評価したりなんて、人間が小さい。君はどうなりたいの?」

「俺だってまだまだだし、もっとスキルアップをして大きな仕事をしたい。
 金持ちにだってなりたいし。君も自分の目標を見つめ直して、

 ステージを上げていかないと」

いつも完全無欠に見えて憧れだった人から
「自分なんてまだまだ」という
言葉を聞いて、ただただ驚きでした。

正直、聞いた当初は
まだ実感がわかなかった。

けれど、元妻と付き合い始めて
早々に結婚したこともあり、
自分のこれからを見つめ直しました。

依然として仕事は激務で
彼女との時間がなかなか取れず

業界的に仕方のないことだけど、
収入も低かった。

自分にとってこれから何よりも
大切なのは、彼女を幸せにすること。

編集者という仕事に誇りを持っていたけれど、
今後続けていくにあたって
不自由や犠牲にするものが多く、

もっと時間が取れて、
潰しのきく仕事の方が良いんじゃないか。

音楽ライターにはなれなかったけれど、

音楽に関する記事を書いたり、
ギターの教則本を作ったり、
一応の達成は得られた。

「転職しよう」

自分の考えを上司に打ち明けると、
新しい門出を祝福してくれました。

少なくとも上司だけは、
僕のことをずっと気にかけてくれた。

次に自分が選んだ道で、
今度は自分と彼女のために努力しようと
強く決意しました。

【転職編】転職先はブラック会社だった(TT)

潰しがききそうな仕事ということで
営業の仕事を、

また食べることが好きだったので
食品業界に照準を絞り、

未経験でも就ける会社を探し、
転職しました。

しかし、そこは超絶なブラック会社でした。

その辺りの話は、こちらの記事に詳しく書きました。

僕はこの時の経験で、
「決して会社は人を守ってくれるものではない」
ということを身を持って実感しました。

周囲の人間が会社についていけず
離職者続出。

僕自身、本当に精神的に
ギリギリのところまできていたし、

明日にも働けなくなって

収入が0になるかもしれない。
それでも働かなくてはいけない。
というプレッシャーたるや。

当時は副業や起業といったことは
まだ考えていなかったけれど、

会社や組織だけに依存したあげく
失敗してしまったら、
取り返しがつかないことになる。

この恐怖は、働くうえでの
とてつもなく大きな教訓です。

【離婚編】妻に愛想をつかされ、人生のドン底に

ブラック会社に勤め、
心身ともに余裕のなかった自分。

次第に妻をないがしろにするようになり、
ある日突然、
彼女は家を出て行きました。

振り返れば「ないがしろにしていた」
ことは明白ですが、

出て行った当時は「なんで? 理由がわからない」
と、ただただ心にポカンと
穴が空いてしまった状態でした。

転職した会社に裏があることは
早々に分かっていたものの、
生活があるから早々に辞められない。

強がった僕は、不安な気持ちであるにも
関わらず、理解者であるはずの妻に
ろくに相談もしませんでした。

しかし、やはり日常の端々に
余裕のなさが出てしまうもので。

共働きなのに、
家事はすべて彼女に任せ、

せっかくの休みの日も、
次第に一緒に出かけることも
少なくなっていった。

自分だけは付き合っていた頃の
気持ちのまま
愛情の押し売りをして、

仕事も家事も抱え、
大変な思いをしている
彼女の心を何も考えていなかった。

「もう付き合っていた頃と状況が違うんだから、
 これからの生活のことを真剣に考えようよ」

と何度彼女から言われても、
まともに取り合おうとしなかった。

大切なパートナーであるはずなのに、
幸せにすると決めたはずなのに。

彼女自身が精神のバランスを
崩し始めていたのに、
馬鹿な僕はまともに察することなく、

ある日、家に帰ると
いるはずの彼女がいなくなっていた。

電話に出てくれない。
居場所がわからない。
LINEも返ってこない。

翌日、彼女から
LINEの返信がきました

「あなたと生活していくことは、もう考えられない」

彼女は関西にある実家に、
仕事が終わったその足で帰っていました。

その週末に彼女の実家に向かったものの、
会ってくれることもなく、

義理の両親からも

「事情は聞いている。
 今はそっとしておいてやってくれ」と。

当たり前と思っていた日常が
あっけなく崩れ去り、

ここにきて僕はようやく
事の重大さが分かり
途方にくれました。

自分は、彼女に何も与えてあげられていなかった。
自分を責め続けました。

彼女と距離を置き、会えないその間、
せめてお金だけでも
不自由させたくないという気持ちで、

また仕事を変わり、
もう少し条件の良い今の会社に移りました。

人生のドン底でしたが、

ここで頑張っていれば、
またいつかやり直せるかもしれないという
淡い希望を持って。

「相手に価値を与える」という
当たり前だけど何よりも重要なことが、
当時の自分には欠けていました。

しばらく経ち、
何度か話し合いの場を持ちましたが、
彼女の気持ちは変わらず。

僕自身も、誰よりも好きだった
相手だけに、もうこれ以上
彼女の未来を縛りつけることはできず、

別れることを選びました。

【母親からの言葉】そろそろ地元に帰ってきたら?

離婚の前後、
会社ではなんとか平静を装っていたけど、
私生活は空虚そのものでした。

ただ惰性で毎日を過ごし、
無気力になって、

ダラダラとテレビを垂れ流し、
目的もなくスマホをいじるだけ。

自信を喪失して、
なにかしら生活をリセットしようという
行動も起こさなかった。

酒に溺れ、会社で飲み会があると
若くもないのにぶっ倒れるまで飲んで。

自分で自分が嫌になりました。

なのに、自信がないから何もできない。

立ち直るまでに1年かかりました。

必要だったかもしれないけど、
多くの時間を無駄にしてしまったことに
いまでは後悔しまくっています。

そしてある年の暮れ、
高松の実家に帰ると、母親から

「独り身に戻ったんだし、
 そろそろ実家に帰ってくれば?」と。

その言葉を聞いた当初は、
全然現実味がありませんでした。

確かに、故郷のことは好きです。

戻るたびに心が癒されます。
いつかは帰りたいと思っています。

ただ、都会での生活に染まっていたし、
急に気持ちを切り替えれない。

まだその時じゃない。
漠然とそう思っていました。

しかし、離婚から
ひとまず立ち直ってくるにつれ、
徐々に心境の変化が起こってきました。

30を過ぎると、友人知人に家庭ができ、
会社以外では

人との関わりが少なくなります。

「孤独だなあ」

趣味はあるけど、
どうしても仕事中心の生活。

収入が特別高いわけでもありません。

それに、自分自身
心が弱っていたこともあって、

満員電車に乗ってのストレスが溜まる通勤や、
都会ならではのガヤガヤとした環境にも
正直疲れきっていました。

「東京にしがみつく意味はあるのかな?」

だったら生まれ育った好きな街に
戻ってもいいのかもしれない。

心が落ち着ける故郷で、
リスタートしたいなあ。

けれど・・・
この時はまだ踏み切れませんでした。

【転換期】情報発信ビジネスの世界を知り、人生再起

「この年になって、
 地方にまともな仕事はあるのか?」

地方でイチから仕事探しをすること。
これが不安でした。

もちろん、収入を妥協したり、
欲を出して
高望みしなければあるでしょう。

でも、どうしても
10年間東京で暮らしてきた
経済感覚があるし、

この頃はまだ
収入を得る=会社で働くという選択が
自分の常識のすべてだったから、

煮え切らなかったんですね。

あげく、カレーが好きだから、
「いつか開業しよう」と
カレー屋で働こうと思い立って。

収入が少なくても、
せめて好きなことならできるだろうと
迷走してしまったり。

(いまは、十分な資金ができたら
 やろうと思っています)

そんな時、暇つぶし目的で始めた
Twitterで知ったのが、
情報発信ビジネスでした。

情報発信ビジネス
=ネットビジネスを知った当初は

恥ずかしながら知識がまったくなかったので、
「怪しい」という思いでいっぱいでした。

「誰でも100%稼げます」
「スマホを空き時間にクリックして○万円」

広告を間違ってクリックしたら、
甘い話に乗せられて商材を買わされる。

しかし、それは一部の悪徳業者がやっているために
“ネットビジネス=怪しい”という
イメージがついてしまっているだけ。

イメージ、価値観、常識。

これらって、とらえ方を間違えると
本当に怖いですよね。

人は知らない物事は遠ざけて、
自分で精査することもせずに
「悪いもの」と決めつけてしまう傾向がある。

しかし、これ以上失うものがなかった僕は、

自分なりに情報を集めていって、
ちゃんと知ろうと努めました。

知れば知るほど、
「こんな世界があったのか」と
ただただ驚くばかりで。

ネットを使ってモノを売る
という行為自体は

たとえばAmazonを
思い浮かべれば真っ当だし、

むしろ情報化社会の現代、
個人が大きな収益を作るなら
ネットの力をうまく使わない手はない。

機会があって、

ネットで真っ当なビジネスを行い、
月収200万収益を得ている
起業家の方にもお会いして

情報発信ビジネスの可能性の大きさに
衝撃を受けました。

  • 場所に縛られず、パソコン1つでビジネスができること
  • 時間に縛られず、自由に生活をコントロールできること
  • 個人で、会社員では考えられないくらいの収入を得ているこ

長くただの会社人間だった僕にとって、
こうしたライフスタイルは
信じられないものでした。

しかもこれらが、ネットを活用して
ビジネスを仕組み化することにより、
得られているという事実。

当初は表層的なメリットばかりに
目が行きがちでしたが、

ネットというツールを使って
顧客の悩みを解決するという
本質的な考え方に基づいてビジネスを行っている

という認識を得てからは、
より見る目が変わりました。

要は、ネットだろうがリアルだろうが、
どんなフィールドでも
通用する正しい知識を持っているということ。

人に価値を与えられなかったために
愛する人を傷つけた僕に

回りまわって「真理」のようなものが
降りてきた瞬間でした。

僕は、価値の大切さというものを
身にしみて感じているつもりです。

人に立派な価値を与えられる人間になりたい。

地方に帰ったら、社会的な価値が
生み出せるようなことをしたい。

そう強く思いました。

そして、無気力で行動力も
自信も0になって止まっていた
僕の時間が、再び動き出したわけです。

【最後に】ブログのコンセプトについておさらい

都会と地方には確かな格差があって、
地方で暮らすには
経済的な不安がついてまわるものです。

今後、世の中全体の
先行き不安もともなって、

雇用のあり方も
大きく変わるかもしれません。

会社で働くことだけに頼っていては、
暮らしの土台が
いつグラついてもおかしくない。

家族を守れなくなるかもしれない。

けれど、危機感を持って
行動することができれば、
いつからでも人生を変えることはできる。

僕みたいな人生ドン底に
落ちた人間でも、
一歩踏み出せば再起できたから。

僕のブログでは、
経済的・精神的な不安をなくし
理想の地方暮らしを手に入れるために、

「ネット副業」という
新しい選択肢を提案していきます。

地方で暮らすことと、場所に関係なく、
パソコン1台あればできる
情報発信ビジネスは、とても相性が良い。

初期投資がほぼないから、
失敗するリスクもないですしね。

僕自身、まだまだ
学びも実践も繰り返している最中ですが、

それだけに、自分が苦労した経験や
本当に大切だと思ったことなど、

リアルな情報を
お届けできるのではないかと思います。

それでは、よろしくお願いします。

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無力感に苛まれる日々の中で芽生えた、
「心が安らげる故郷で、リスタートしたい」
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情報発信ビジネスについて学んでいます。

特別なスキルがなかった僕だって、
正しい知識を得れば変われた。

収益を得るための「仕組みの作り方」
が見えるようになった。

そうしたら、失っていた自信もついた。
30代になっても、学ぶことは楽しいと知った。

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怖いことじゃなくワクワクするものだと知った。

会社や組織だけに依存せず、
「ネット副業」という道で、
理想の地方暮らしを手に入れたい。

自ら稼ぐ力を身につけるための
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