
こんにちは、しかシカです。
ずいぶん更新が滞ってしまいました(..)
先日、近くで座禅の会をやっているのを知り、
参加してみました。
というのも最近、仏教について書かれた本を読んで、
座禅によって自分の心と向き合い、
雑念を振り払うことでリラックスできると知ったから。
ブログを書くとかいろいろな作業をしていても、
その日仕事で経験した
嫌なことを思い出してしまったり
ついついクセでテレビやスマホに触れて
余計な情報で頭を満たしてしまったりして、
集中力を欠いてしまうことがあります。
(経験ありませんか?)
こういった雑念を振り払う方法は
ないかなーと思って。
今回は、座禅によって得られた効果と、
雑念というものについて
自分なりに考えたことを書いていきます。
僕が参加したのは、
「人間禅」という出家していない人でも
実践できる社会人のための禅です。
休憩をはさんで30分の座禅を2セッション。
趺坐(ふざ)といって片方の足を
もう片方の足のももの上に乗せるんですが
体がバキバキに硬い僕には
かなりの辛さで(TT)
背筋をピンと伸ばして
体勢をキープしたまま(い、痛い)、
ひと呼吸を1として100まで数えていきます。
これが難しいのなんの!
というのは、体勢が乱れていないか
意識したままだと(しかも体の痛さに耐えながら)
意識が飛んで途中で数を忘れてしまうし
何より大変なのが、呼吸を数える以外の
雑念を交えないようにしなければいけないこと。
やっている最中、
いろんなことが頭に浮かんでくるのですが、
浮かんでくるイメージを
追わないというのが禅の定義なんですね。
鳴いている鳥の声や遊んでいる子どもの声が
どうしても外から入ってくるのですが、
それを頭に留めず、情報を素通りさせる。
内から湧き出てくるイメージも、
呼吸でフーッとかき消す。
僕は参加した前日~前々日が出張で
上司とずっと一緒だったので、
思い出したくもないのに上司の顔が浮かんでくるし、
なぜかジェイソン・ステイサム(※映画スター)
の顔が浮かんで、なかなか消えてくれませんでした。
なんでジェイソン・ステイサムなんだ!笑
なんか映画でも観たかなあ?
そんなこんなで、
こだわりを捨てて無心で禅を組むって、
言うは易しなんですが
メチャメチャハードルが高いことなんだなと
体験してみて思い知りました。
それでも後半はグッと集中できて、
終わったら肩の荷、というか
心の荷が降りたようにスッキリして、
超気持ちよかったです。
心にいっさい波が立っていない状態
とでもいえばいいですかね。
そのあとご飯を食べて
ドトールで本を読んだんですが、
信じられないくらい雑念がなく、
集中して文字を追うことができました。
つい触ってしまうスマホも、
ポケットに入れっぱなしにできたし。
そうはいっても、
雑念を振り払うのってほんっとーに
難しいんだなーと思ったのも事実で。
禅の先生も、
「出家して修行に励んでいる人ですら
簡単にできるものじゃないんですよ」
って仰っていたし、
お釈迦様だって修行を始めて悟りの境地に
至るまで6年もの歳月を要したといわれています。
とすれば、日々嫌でも情報に触れ、
いやおうなく受信してしまう
普通の人間にとっては、
禅を組んでいる最中はともかく、
日常生活のなかで心穏やかに生きるのは
非常にハードルが高いわけで
まして、不安や悩み、苦しみのような
負の感情を振り払うのは、
難しいのが当然だな、と。
同じ参加者に、
「妻がアルコール中毒で生活が大変だから」
という理由で禅を続けている方がいました。
「座禅を組んでいるときは日々のいっさいを忘れられます。
自分にとってはセラピーのようなものですね。
それでも日常に戻ると、生活をとりなすのに
必死になってしまって、
なかなか心の平静を保つのは難しくて」
ほかにも、家族が病気で、とか
夫との関係に悩んでいて、とか
人それぞれ悩みを抱えて
座禅をされているのを知って。
座禅を組んで、一時の心の平穏は得られる。
座禅のやり方を知れば、
ふとしたストレスを感じたとき、
心を落ち着けることはできる。
座禅の効果を実感しつつも、
同時に「日々の人生の質を高める」ことも、
心の状態をよくするために必要なんだな、
と認識を新たにしました。
「選択理論心理学」というものがあります。
簡単にいうと、
人の思考や行動はその人の選択によって決まる
という考え方で
この選択の基準というのは、
人それぞれ持っている「5つの基本的欲求」
がベースになっています。
(下の図の通り)

これらの欲求は両親や育ってきた環境、
あるいは職場での経験、人間関係などに
影響されて形作られていくとされています。
人それぞれ満たされている
度合いの強弱があれど、
1つでも欠いてしまうと
心のバランスを崩してしまうもので
たとえば仕事を優先するあまり(力の欲求=達成・承認)
家族との時間を(愛・所属の欲求)
ないがしろにしてしまうと、
家庭生活がうまくいかなくなる。
僕自身プロフィールにも書きましたが、
元妻の望み、つまり彼女の持つ「愛・所属の欲求」を
ないがしろにしたために離婚という結果になり
自分の「愛・所属の欲求」を失い、
一時、何事にも
無気力な人間になってしまいました。
本当に、言い方は悪いですが、
バランスを崩すと
面白いくらい簡単に人ってダメになります。
ですがこの欲求って、
「選択」できるわけですから
いくらでも良いように上書きできるんですね。
いま達成されていないことでも、
自分の将来像をくっきり
明確にイメージすることで、
その欲求を満たすための
思考・行動を選ぶようになる。
僕の場合、
一度失った愛・所属の欲求は、
両親への感謝だったり、
大好きな地元に生活の軸を
変えることに置き換わりました。
そして地方でも不自由なく暮らすために、
経済的自由の欲求を満たすべく、
ビジネスの勉強をしながら
こうして情報発信をしています。
まだ劇的な変化は起こっていませんが、
選択することによって
心の持ちようは大きく変わりました。
「お前には無理だ」あるいは「自分には無理だ」
「30過ぎて今から人生変えるなんて遅すぎる」
それって誰かの考えだったり、
社会に蔓延した負の価値観だったり
を知らず知らずのうちに取り込んでしまって、
自分が「できない」と
思い込んでしまっているだけ。
自分の将来像は自分で選択して、
それに向かって行動して
人生の質を良くしていく。
僕は選択理論の考え方に出会って、
本当に救われました。
まだ諦めないでいいんだ。
「できない理由」に踊らされるんじゃなく、
自分で「できる」を掴み取るんだ。
話を禅に戻すと。
雑念といっても
負の念と良い念があると
僕は考えるようになって。
負の念=負の感情って、
本当に頭にこびりついて
振り払うことができないですよね。
仕事で失敗したとき。
人間関係がうまくいかないとき。
嫌でも引きずってしまいます。
座禅を組んで
一時的に振り払うことができても、
一度空気を抜いてもまた集まってくるように
頭のなかを負の感情が満たしてしまう。
奥さんがアルコール中毒の方もしかりだし、
僕も今でも時折、
離婚した時のことを思い出してしまって、
心が沈んでしまうことがあります。
けれど、自分の持っている欲求を
良い方へ良い方へ上書きすることで、
もっと心を上質のものへ変えていけるんじゃないか。
僕にはアルコール中毒の経験がないから
軽々なことはいえないけど、
アルコール中毒を脱した未来像を描くことで
負の念を振り払うという目的から、
本当の意味で禅を楽しむという
心の変化を得られるんじゃないか。
座禅を終えて物思いにふけりながら
そう考えました。
自分にとって良い念=良い感情だったら
コントロールできるようになるはずだし、
日頃、頭の中を圧迫している
要らない情報を洗い落とすという意味では、
本当に禅は効果的です。(体は痛いけど…)
集中力をアップさせる
セロトニンが活発化するという
説もあるようですね。
やー、あのスッキリ感はクセになる。
1日10分でも、テレビなりスマホに
費やしてしまっていた時間を交換して、
座禅に当ててみようと思います。
そして、作業に集中集中!
それでは。
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