【ブラック会社に勤めてメンタル死にかけた】会社に「依存」しない生き方を考えたワケ。

こんにちは、しかシカです。

いま働いている会社なり組織なりの体質に、
以下のようなことを感じていませんか?

  • 社長(上司)が絶対的トップダウン。やたらと精神論
  • 人の入れ替わりが激しい。実績だけを重視し、取っ替え引っ替え
  • 会社としてのゴールが不明瞭。ゆえに価値が見出せない

実はこれ、僕が以前2年だけ勤めていた
会社に当てはまる特徴です。

ここにパワハラだの、残業代が出ない長時間労働だのが
入ってくると、分かりやすく真っ黒なブラック会社になりますが、
僕が勤めていたのは限りなく黒に近い会社でした。

精神をキリキリと締め付けられるような日々。

「結果を上げて別の会社へ移ろう」と
早々に方向転換したことでなんとか耐え切れましたが、

何が言いたいかというと、
やっぱり会社に依存するのって危険だな、と。

実際、会社なんて入ってみないとわからないですし。

この経験を反面教師にしてもらいたいので、
今回は僕のブラック会社ストーリーと、
会社だけに依存しない生き方の大切さをお話したいと思います。

29歳で異業種に転職。営業マンに。

僕は広告・本・雑誌の編集者として、
最初の会社に7年弱勤めました。

得られるものも出会いも多く、
当時の上司や同僚には感謝していますが

とにかく激務。

いわゆるメディアで取り上げられる通りの
制作会社の勤務実態です。

毎日12〜13時間勤務がザラで、
さすがにこのままずっと働き続けるのはムリ。

また、当時から「いつかは地元に帰りたい」と思いがあったので

「潰しがきく、どこでも応用がきく仕事」=営業職

に切り替えようと思い立ち、当時29歳でしたが、
未経験でも就ける会社を探し、転職をしました。

小さいけど勢いのある会社に見えたが…。

入社したのは、小さな食品商社。
ある有名なブランド商材の小売流通を
主軸にしている会社でした。

食品業界を希望していたし、
たった5人の会社とはいえ30手前の人間を雇ってくれ、
まさに渡りに船の状況。

面接をしてくれたマネージャーは
ここ1年ほどで会社を急成長させており、
いかにも優秀そうな人だ。

商材も知名度があるし、新たな商品作りや、
ブランドを横展開させて
飲食店を出す構想もあるという。

そして、サイドビジネス感覚で
2ヶ月前からラーメン屋を開業していた。

こちらは独立して動いているので、
特に関わらないでいいとのこと。

入社初日。

は? 辞める?

マネージャー、あと2週間で会社辞めるってよ。
社員1人を引き連れて退職するとの報。

「言ってませんでしたっけ?」

(…聞いてねーよ)

「自分の代わりのマネージャーも数日後に入ってきますから」

残るのは、社長を除けば、
新卒2年目の男の子Mくんと、事務の女の子Hさんと、
新しく入ってくるマネージャーだけ。

しかし新しいマネージャーも、
他業種での実績はあるものの、
食品業界は未経験だという。

雲行きが怪しくなった。

ほぼゼロベースのスタート。しかも、俺がラーメン屋だと?

旧マネージャー氏が辞めるのは、
社長とソリが合わなかったから。

しかも、ラーメン屋の開業以降は
そちらの営業に徹し、
ほとんど会社には出ていないという。

そんなこんなで、旧マネージャー氏とは
正味2〜3日顔を合わせただけ。

その間に、新マネージャーのKさんと
泣けるほどわずかな業務説明を受け、
何もわからないまま、主要な得意先だけ引継ぎに回る。

まともに仕事を引き継ぐ気も感じられない。

そして、入社して数日経ち、ようやく社長が登場。

会社を複数経営しており、
顔を出すのは月に数回ということだ。
(これも聞いてない)

「お前たちが入ってきて、会社は新しく生まれ変わる。
 入れ替わりで最初は大変だが、ガッツで乗り切れよ!」

ん? 乗り切“れよ”ってなんだ?

「あと、ラーメン屋だ。ラーメン屋は俺の夢だったんだ。
 絶対に繁盛店にするんだぞ!」

ん? ラーメン屋ってなんだ?

「じゃ、頼んだぞ!」

え? それだけですか?

旧マネージャー氏はほどなく退職。

もうその頃にはコイツに期待しても
ムダだと分かっていたので、
現メンバーで集まりミーティング。

現状整理をする。

  • 社長:この会社は本業経営の枝であり、社員に丸投げ状態
  • 新マネージャーKさん:事業責任者として呼ばれたが、引継ぎがろくにないとは聞いておらず、途方に暮れている
  • 新卒2年目のMくん:現状がよく分かっていない。もっともである
  • 事務のHさん:私、ただの事務ですから。
  • 僕:現状の深刻さだけは分かる
  • ラーメン屋:現場には社員とバイトが1人ずついるだけらしい。従業員不足により、どうやら営業をフォローしなくてはいけないようだ

いま思えば、事前に聞いた業務内容と
あまりに実態が違うので、
さっさと辞めてしまってもよかったと思います。

しかし、当時の僕は大きな蓄えもなく、
「イチからまた仕事を探すのは大変」と
とりあえず続けることにしたのです。

ちなみに、僕が応募した際の求人募集は
厳密には職種が「総合職」となっており、

ラーメン屋事業に関わるとは
明記されてはいなかったものの、
営業職に限定しないという意味でグレーでした。

業務を限定しない「総合職」という言葉は、
よくよく吟味すべきです。

会社が目指すものって何だ?

ラーメン屋には、前マネージャー退職後、
社長が連れてきた「ラーメン通」を名乗る男Sが
店長として入ることになった。

素人に毛が生えたレベルで、
現場の人手が足りないといっては、
マネージャーのKさんや僕やMくんを駆り出していた。

9時に入店して、営業が21時に終わり、
店の片付けをして家に帰るのは11時。

長時間働くだけならまだよかったが、
さすがに慣れない肉体労働はキツイ。

僕は食品流通の人員として雇われたはずだったので
ラーメン屋に関わるのは
本当に嫌で嫌で仕方がなかった。

しかし、Sがそんな僕を見て社長に意見する。

「社長、しかシカがラーメン屋に非協力的です」

そんなときだけ、
社長は会社にやって来て、こういった。

「おい! ラーメン屋は俺の夢なんだ!
 俺がSに任せてるんだから、Sのいうことを聞け」

Kさんも唖然としていた。

なぜなら、ラーメン屋は素人がノリで始めたがために
収益計画に一切の信頼性がなく、事実赤字経営だったから。

そして、メインであるはずの食品流通事業は
まったく見向きもされなかった。

食品流通事業で利益を作っているのに、
それがラーメン屋の赤字補填に注ぎ込まれている。

Kさんは何度も社長に、
ラーメン屋を畳むことを提案した。
今ならまだ傷は浅い、と。

しかしそのたびに、怒号を浴びせられていた。

会社が目指すのは、
利益を増やして社員に還元することだと思っていたが、
ここでは経営者の夢=ラーメン屋がすべてだった。

何のために仕事をしているのか分からなかった。

上司が何人も去り、僕もメンタルが死ぬ一歩前まで。

Kさんは僕や部下たちを労い、
よく飲みに連れて行ってくれた。

食品流通の事業については
ろくに引継ぎのないスタートだったが、

2人でいくつものクライアントを周り、
頭を下げて業界知識を教えてもらいながら、
セールスの経験を積んでいった。

僕はそんなKさんを上司として頼りにしていたので、
なんとか我慢してついていけた。

対して、社長の鶴の一声はいつも突然だった。
社長にとって、僕たちの会社は
夢の実験場だった。

いくつかの新しい事業をしたが、
所詮思い付きだったので、うまくいかなかった。

Kさんはその責任を問われるたびに落ち込み、
一時期ノイローゼになってしまい、
結局、会社を去ってしまった。

Kさんの次に2人の人間が、高給と引き換えに
マネージャーとしてやって来たが、
いずれも、ものの数ヶ月で辞めて行った。

やはり、ラーメン屋の運営で揉めた。

彼らも実績のある人たちだったが、
高い能力を持つがゆえに
社長の方針に従うことができなかった。

ついに、会社は僕と年下の同僚Mくん、
そして事務のHさんの3人だけになってしまった。

立場の差こそなかったが、
年齢的にもやはり僕が一番上なので、

少なくともクライアントに対しては
僕が前に立たなければならない。

トラブルだって日々起こる。
そのためにリスクヘッジ、管理。

この状況が超絶にキツいものだった。
毎日、通勤するのが辛かった。

依然として、ラーメン屋としても
店に立たなければいけない。
同僚のMくんが頑張ってくれている。

頼れる人間がいない辛さを、
僕はここで本当に身にしみて感じた。

限界だった。

社長に最後の直談判をし、退職する。

幸い、僕は個人では営業成績を大きく上げ、
ヒット商品も作り、
実績を作ることができていた。

同僚には悪い気がしたが、自分の人生。
もう、辞めていいタイミングだった。

最後に、社長に直談判した。

  • 「あと2ヶ月で辞めます」
  • 「残る2人が可哀想だから、自分で後任を雇います。求人広告を打つので費用を出してください」
  • 「ラーメン屋はいい加減畳むか、残したいなら店長のSに譲渡してください。僕もMくんも、もう身も心もボロボロです」
  • 「これが聞き入れられないなら、今日辞めますね。この会社はたぶん立ち行かなくなりますが、もう責任を追えないので」

さすがの社長もこれはマズいと思ったのか、
すべてを呑んでくれた。

ラーメン屋は現場に立つことがなくなり、
僕の退職後に譲渡されたと聞いている。

タイミングよく自分の後任者もすぐに見つかった。

昔いたマネージャーのように
ほっぽり出したくはなかったので、

自分の退職事情を理解してもらったうえで
みっちりと漏れのないよう引継ぎをした。

そして、無事に退職をすることができた。

繰り返すが、本当に限界だった。

ピンと張り詰めた糸が切れるように、
メンタルがこと切れる一歩手前だった。

会社は自分を守ってくれない

以上が、僕が経験したブラック会社ストーリーです。

もっと直接的にメンタルにダメージを与えてきたり
給与実態が違っていたり、
いろいろなケースがあると思います。

入ってみなければ、
そこがブラック会社であるかどうかを
見極めることはまず難しい。

僕の場合はさらに会社に移り、
いまは不自由なくやれています。

しかし、この経験を前向きにとらえれば、
「会社は自分を守ってくれない」ということを学びました。

生活を会社だけに依存するのは危険。

いい会社でも、1ヶ月後に突然なくなるかもしれない。

病気や怪我をしたのに、
長期療養を認めてくれないかもしれない。

なので、あらかじめ会社だけに
依存すべきではないという心構えで、
収益の柱を別に作っていくのが大事だと思います。

副業の解禁も本格的に始まっています。

僕も、いま取り組んでいる
ネットビジネスのことを当時から知っていれば、
きっとやっていました。

1日の空いた時間でコツコツと
積み上げていくことができますし、
初期投資が不要です。

もし、僕の話のなかで
「自分の生活も不安だ」「会社に依存しきっている」
と感じるようでしたら、

少しずつでいいと思います。

新しい柱作りを始めてみてはいかがでしょうか。

地方で経済的に自立するための情報を発信中!

僕は東京で約10年暮らし、
離婚という大きな挫折を味わいました。

人生ドン底、
無力感に苛まれる日々の中で芽生えた、
「心が安らげる故郷で、リスタートしたい」
という思い。

いま僕は、地方に帰っても
経済的に不自由しないために、
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特別なスキルがなかった僕だって、
正しい知識を得れば変われた。

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