
こんにちは、しかシカです。
「目標を紙に書き出したら成功が近づく」
っていわれていますよね。
成功したい!という思いが
のちの思考や行動に影響を及ぼすとか。
ハーバード大学の調査で、
目標を紙に書いた3%の人と
書かなかった97%の人で
将来の平均年収に10倍の差が出たとか。
可視化することで目標が明確になる
という意味では分かるけど
書き出すだけで成功が約束するもんか。
結局はやるかやらないかの精神論でしょ?
と斜に構えていました。
ただ、僕が目標にしている起業家の方たちは
やっぱりこれを実践していて。
「やらない」という感情を
制御するために目標を書き出している
という理解に至りました。
というわけで今回は、
努力の辛さをいかにコントロールして
目標に向かって突き進むか
という話をしたいと思います。
今日はここまで仕事を片付けようと
思ってたけど、もういいかー。
今晩は自炊しようと思ってたけど
やっぱりコンビニ飯でいいやー。
ってこれ僕のことなんですけど。
モーレツにめんどくさがり屋でして。
人は苦痛感情と快楽感情に大きく支配される
という考え方があって、
辛いこと、面倒なことを避けて
楽な方楽な方を選んでしまうものなんですよね。
実際、「やる」には時間も労力も使うわけだし、
それに比べたら「やらない」ことは簡単。
あー、ここまで本読もうって思ってたけど
今日はもう寝るかー。
どうぜこんな気持ちじゃ
頭に入らないしって。
一方で。
アームレスリングの選手を
やっている友人がいて、
彼が筋トレをこよなく愛しているんですね。
見事な逆三角形の体型で。
なんでそこまで鍛えるの?
辛くないの?
トレーニングしてる最中は当然キツいですよ
でも仕上がった筋肉を見て、悦に浸るという笑
マジかー、オレ絶対できないわ
見るからにしんどそうで
っていうかやっぱ、モテますよね笑
筋肉あると
あー、そうね。やっぱりモテたいのね。
筋トレそのものは当然辛いし、
苦痛を伴います。
けれどこの友人の場合、
やらないという快楽を選ぶより
やった先に得られる快楽のために
筋トレをしている。
モテたくて何が悪いかーって。
友人の名誉のためにいっておくと、
彼はアームレスリングで
日本チャンピオンになるほどの逸材で。
しかしマイナー競技ゆえ、
自分がスポークスマンになって
もっとアームレスリングを広めたい
という大きな夢がある。
だから自分自身、
もっともっと鍛えて活躍しなければと
思っているんですね。
筋トレを続けられる人って、
体を鍛えた先に得たい
未来のためにやっている。
彼にとっては1日1日のトレーニングが
得たい未来に近づくための
成功の積み重ねであり、
日々の達成感が
快楽に置き換わっているわけです。
モテたいのも真っ当な理由だし、
不健康で体を壊したことがあるから
もう辛い思いをしたくなくて
体作りをしているという人もいると思う。
ひとくちに「苦痛の先の快楽」といっても
苦痛を避けて得る快楽と
苦痛を材料にして得る快楽があって。
手に入れたい未来のために、
うまく後者に意識づけを
しているんですよね。
元来めんどくさがり屋の僕が
いまビジネスの知識を得るために
日々勉強を続けられているのも、
経済的に自立するという
得たい未来があるから。
時間の切り売りをして
一生サラリーマンを続けたくない。
自分の力で稼いで、
自分の暮らしを自分の手で
コントロールできるようになりたい。
知識をつけると
昨日より今日の方がスキルアップしていると
確かに実感できる。
苦痛が適度な負荷になって、
快楽を得るための
バネになっているような感じ。
苦痛をうまく
コントロールできているんですね。
話を戻しますと。
目標を紙に書いて
見えるところに貼っておくと、
自分が得たい未来を
常に脳に意識づけできる。
手段が目的になってしまうような
本末転倒なブレもなくなる。
これが理解できてから、
僕もやるようになりました。
目標を口に出して人に宣言しろっていう
意見もあるみたいだけど、
まだ実現の糸口も見えていない段階で
それをやるのは抵抗があるから
まずは自分が1日で必ず目にする場所に
紙を貼っておくといいと思う。
僕の場合は、寝室の
照明スイッチの上に貼っています。
朝晩必ず触れる場所だから。
マインドを変えることって
結局思い込みの力を
利用することだから、
毎日毎日 目標を見ていると
良い意味で暗示にかかるんですね。
まあ勉強を始めた当初は
「やらなきゃ」って
自分に鞭を入れないとモチベーションが
維持できないときもありましたよ。
ただ、それなりのお金を
自己投資しちゃっているから、
元を取る意味でも
「絶対ものにしてやる!」
というテンションを継続できた。
紙に書き出した目標を
毎日仕事に行く前と
帰ってきたときに目にすると、
習慣化の力も手伝って
苦痛を避けてだんだん楽な方へと向かう
感情が薄れてきました。
自分に鞭を入れなくても
飯食って・軽く掃除して・勉強してという、
ごく自然な生活の流れに
組み込むことができるようになりました。
やらなかった自分を想像すると、
僕にはそっちの方が恐ろしい。
経済格差がどんどん広がっていく未来で、
サラリーマンを続けていけるのか。
会社の愚痴を飲み屋でこぼすだけが
ストレス発散のような
オジサンになっていいのか。
目標を紙に書くことは、
怠惰な「やらない」を
「やる」にするための変換装置。
今の僕にとっては、
自分にスイッチを
入れるためのツールです。
というわけで、
バカにしてごめんなさい。
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